日本相撲協会を退職された貴乃花親方は、2018年に長年寄り添った河野景子さんと離婚されています。
今回は、貴乃花親方と嫁の河野景子さんについて結婚までの馴れ初めから離婚まで、さらに現在の夫婦生活についてまとめてみたいと思います!
貴乃花と河野景子の結婚までの馴れ初め!
貴乃花親方と河野景子さんの出会いや馴れ初めなどを調べてみたいと思います!
貴乃花親方といえば、景子夫人の前に大物女優と交際していたことも有名ですね。
ここではその女優さんとの交際から遡って、景子夫人との結婚までのエピソードを紹介させていただきます。
宮沢りえとの婚約発表からスピード破局
貴乃花さんが大関に昇進する2ヶ月前、ビッグニュースが報じられました。
それは、宮沢りえさんとの交際。
当時”若貴ブーム”で大人気だった貴乃花さんと、若手トップの人気を誇る宮沢りえさんの交際は大きな話題となりました。
そして1992年11月、二人は婚約発表会見を開きました。

当時の二人の年齢は貴乃花20歳、宮沢りえさん19歳。
特に宮沢りえさんはドラマや映画に引っ張りだこで、まさにこれからという時期でした。
ちょうど今で言えば広瀬すずさんのような…いや、それ以上の圧倒的な人気があった宮沢りえさんの突然の交際&結婚宣言に多くの驚きの声が上がりました。
しかし、婚約発表を行ったわずか二ヵ月後に二人は破局してしまいました。
貴乃花さんが史上最年少大関となった同日にはこんなコメントを残しています。
宮沢りえさんもその2日後に破局会見を開き、「残念です」と破談を認めました。
急展開に世間は困惑。
「二人に何があったのか」と長年語り継がれる騒動となりました。
美川憲一が別れさせた?
貴乃花親方と宮沢りえさんの婚約破棄の理由は明らかにされていません。
しかし、騒動から22年が過ぎた2014年にある人物から真実が語られることとなったのです。
テレビ番組で美川憲一さんが二人の破局について語りました。
「頼まれてぶっ壊したのよ、私が」

当時、親交のあった宮沢りえさんの母から「娘が結婚を考え直すように」と説得を頼まれていたと言うのです。
宮沢りえさんの母親はりえさんのプロデューサーも務めていた方で、”りえママ”と呼ばれたステージママの第一人者。

力士と結婚をすれば、女将さんとなり女優としての活動もできなくなってしまいます。
そんな思いから美川憲一さんに依頼をしたのでしょう。
そんなりえママの依頼を受けた美川さんは、宮沢りえさんを電話で説得することに。
当時19歳の宮沢りえさんは、電話口の向こうで泣いていたといいます。
破局が決まった後、貴乃花さんと宮沢りえさんは一度だけ会うことになったそうです。
そこで宮沢りえさんは「強い横綱になってください」と最後に伝えたらしいです。
その言葉通りに貴乃花さんは平成の大横綱となりました。
宮沢りえさんは、母親の期待通り、いやそれ以上の大女優となりました。
若い二人は大人の都合で別れることとなり、その後はそれぞれが自分の道で活躍をされたのですね。
河野景子との出会いは合コン?
宮沢りえさんと別れた貴乃花さんは、どのようにして河野景子さんと出会ったのでしょう?
調べてみると、お二人が初めて会ったのは食事会だったそうです。
当時、河野さんの同期の八木亜希子さんが当時の若ノ花さんと頻繁に食事会を開いていたと言います。
その中で「お互いに新しい仲間を呼んでこよう」という話になり、河野さんに声がかかったのです。
そして若ノ花さんは、大関に昇進したばかりの貴乃花さんを連れてきました。
要するに…合コンですよね!!(笑)
河野さんは特に相撲に興味もなく、「まぁ時間が空いているからいいかな」くらいの軽い気持ちで食事会に向かったそうです。
アナウンサーとしては四股名が読みにくかったため、人気力士というよりは“読みにくい名前の人”という印象だったと振り返っています(笑)
ただ、人気者の半面、貴乃花さんはメディアからよく叩かれていたため「実際はどんな人なんだろう」という興味はあったそうです。
河野さんは、貴乃花さんの第一印象をこう語っています。
共通の友人を介した食事会、と言う名の合コンで出会ったお二人でした。
交際のきっかけは一本の電話
知人が開いた合コンで知り合った貴乃花さんと河野景子さん。
最初の食事会から何度かグループで会っていたそうですが、なかなか交際には発展しませんでした。
河野景子さんは貴乃花さんより8歳も年上ということでまさか結婚にいたるとは思っていなかったそうです。
また、当時は河野景子さんはフジテレビを退社してフリーになり、貴乃花さんも横綱に上がろうとしていた頃です。
お互い忙しい時期ということもあり、しばらく特に連絡もしていなかったんだとか。
そんな時、河野さんが出張で名古屋に行った際に、たまたまホテルに置いてあったスポーツ紙に貴乃花さんを批判する内容が。
ちょうどこの時が名古屋場所だと分かり、軽い気持ちで電話をしてみることにしたそうです。
話が膨らみ「じゃあ東京に帰ったら、会いましょうか」と約束をしたことから、急速に二人の距離が縮まりました。
8歳年上の河野さんは、当時の電話をかけたことについてはこう語っています。
年下の貴乃花さんに母性本能をくすぐられたのでしょうね。
結婚はでき婚だった
貴乃花さんと河野景子さんは、1995年に結婚を発表しました。
お二人の出会いは1994年10月と言われていたため、いわゆる”スピード婚”です。

結婚を発表した時、すでに景子夫人のお腹には新しい命が宿っていました。
そう、でき婚でした。
婚約会見の時には、景子夫人が「(妊娠は)絶対にありません」と否定。
1995年5月29日に行われた結婚式当日の会見でも、最後にレポーターに「妊娠はしていないんですよね?」と聞かれると逃げるように去っています…
その後、貴乃花さんが土俵でインタビューに答えていた時に「子供が生まれる」と発表し翌日のスポーツ紙で大きく取り上げられました。
「あんなにはっきり否定していたのに…」と思う方も少数いらっしゃったようですが、おめでたい話に祝福ムード一色に。
そして、1995年9月27日に長男優一さんが誕生しました。
出会いが1994年10月で出産が1995年9月…時系列を追うと交際してすぐに子供ができたことが分かります。
当時は人気者のお二人、しかも景子夫人は30歳ということで「なるべく早く」という思いも会ったことでしょう。
また、貴乃花さんは宮沢りえさんとの破局もありましたから「周囲に別れさせられる前に」と強行策に出たのかもしれませんね。
貴乃花と河野景子の離婚理由は?
貴乃花親方と景子夫人は、2018年10月に離婚を発表しました。
3人の子供に恵まれ、おしどり夫婦として共に歩んできたお二人ですが、2018年2月に貴乃花親方が理事選に出馬したあたりから離婚危機にあるという噂が流れていました。
貴乃花親方は出馬の意思を、景子夫人にもまったく相談せずに独断で決めてしまったのです。
一人で判断をして突き進む親方のことが、景子夫人も手に負えなくなってしまった…と後援会の関係者は語ります。
夫婦の溝は深まり、貴乃花親方と景子夫人はほとんど口も利いていない状態となり、2018年8月に貴乃花親方が倒れて意識不明になった時も、景子夫人は「弟子が行けばいい。私はほかに用事があるから」と見舞いにも行かなかったという情報もあります。
離婚理由は長年積み重なってきたものもあるとは思いますが、決定的となったのは理事選の出馬だったようです。
子供の親権についてですが、離婚当時未成年でアメリカへ留学中の長女と次女の親権は、貴乃花さんが持つこととなりました。