落語家の立川志らくさんは、2006年に結婚して2人の子供に恵まれています。
結婚相手は酒井莉加さんというお名前で、志らくさんより18歳年下の韓国人ハーフ女性です。
元アイドルという経歴の持ち主で、精神病院に入院していた過去もあるという何やら話題が盛りだくさんな人物のようです。
今回は、立川志らくさんの嫁の酒井莉加さんについての話題をまとめてお届けしていきたいと思います!
立川志らくの嫁・酒井莉加のプロフィール

- 名前:酒井莉加(さかい・りか)
- 生年月日:1981年5月26日
- 出身地:兵庫県神戸市
- 出身高校:日出女子学園高校(現・目黒日本大学高等学校 )
- 身長:168cm
- 血液型:O型
- 職業:舞台女優、舞台演出家
現在は「謎のキューピー」という劇団を主宰し、舞台演出家として活動されています。
この劇団の舞台脚本は立川志らくさんが担当しているそうです。
ちなみに、酒井莉加さんと不倫疑惑が報じられた志らくさんの弟子・立川うぉるたーさん(現:タコ太郎)も同じ劇団に所属しています。
立川志らくの嫁・酒井莉加は元アイドル!
立川志らくさんの嫁・酒井莉加さんは幼少期から芸能活動をされていたそうです。
ここでは主な経歴やアイドル時代の画像を紹介させていただきます。
立川志らくの嫁・酒井莉加の経歴
立川志らくさんの嫁・酒井莉加さんは、子役→アイドル→舞台女優→演出家と、多くの経験を積んでいらっしゃいます。
幼少期からの経歴&出演歴は以下の通りです。
- 1987年(6歳):映画「ミナミの帝王」 出演
- 1996年頃(15歳):神戸から東京に移り、東京の芸能事務所に所属
- 1998年(17歳):CM 「カゴメ六条麦茶」、映画「学校怪談」出演
- 2000年(18歳):アイドルグループ「LINK LINK LINK」でCDデビュー
- 2001年 (19歳):立川志らく監督映画『SF小町』出演
- 事務所が倒産し女優に転身
- 2003年:劇団「下町ダニーローズ」結成
- 2006年?月(24歳):立川志らくと結婚
- 2011年(30歳):劇団「白いキューピー」結成
3歳から15歳まで大阪の児童劇団に所属しており、母親の期待に応えるため週末や夏休みも芝居のレッスンばかりのスケジュールをこなしていたそうです。
CMや映画だけでなくモノマネ番組に出演された経験もあったんだとか。
アイドル時代は同じグループで名前を3回変えながら2006年8月頃まで活動していたそうです。
立川志らくさんと結婚した時の年齢は、24歳でした。(志らくさんは43歳)

落語家さんと結婚すると「女将さん」として完全に家庭に入る方も多いですが、酒井莉加さんは女将さんとしての働きをしながら現在も劇団女優&演出家としての仕事もこなしています。
立川志らくの嫁・酒井莉加のアイドル時代
酒井莉加さんは、15歳で神戸から東京に渡り、高校に通いながら芸能活動を続けていました。
アイドルとしての活動は、名前を変えて3つのグループを経験しました。
最初のグループは、18歳の時デビューした「Link Link Link」。

パソコン関連の楽曲を歌う「ITアイドル」というジャンルで活動し、CDデビューしてからはアイドルイベントの出演や雑誌のグラビアなど精力的に活動を続けました。
秋葉原を中心に活動していたため、デビューしたてのAKB48やPerfumeと同じステージに立つこともあったそうです。
その後、グループ名を「サンバガールズ」に改名。
2007年頃に数ヶ月間この名前で活動していたそうです。
「第25回浅草サンバカーニバル」の公式PRガールに選ばれてたため、このイベント用の改名だったと見られています。
その後、グループ名を「Sham☆poo」に改名。
この頃の日本はアイドルブームだったため多くのジャンルに挑戦され、ご自身では「いまのアイドルブームのさきがけを突っ走りました」と語っています。
度重なる改名を経てグループ活動を続けていましたが、その後所属事務所が倒産。
当時酒井莉加さんはアイドル活動に疲れて何がやりたいのかに悩んでいたため、活動不能になったことで返ってホッとしたんだとか、
そんな時にちょうど出版社の人から映画出演の話があり、女優転身を決意。
映画を作ったスタッフたちとも意気投合し、劇団の立ち上げに参加して舞台女優へと転身していきました。
立川志らくの嫁・酒井莉加は韓国人ハーフ?
立川志らくの嫁・酒井莉加さんは韓国人ハーフであることを公言しています。
2010年11月に、ブログで突然ハーフであることを告白をされました。
私、実はハーフなんです。
戸籍を見て初めて知ったの。
よくハーフでしょ。
と言われるが日本人ですよ。と適当に答えてた。
結婚する時初めて知った、私の秘密。
父親が韓国人、母親が日本人。
本当の父親の名前はキム(金)です。
子供がイジメに合わないようにと名前を変えてたらしい。
だから、韓国の血が濃いのです。
(引用:酒井莉加のブログ)
母親が日本人で父親が在日韓国人だったようです。
同じ記事の中では、自身の性格にも触れています。
陰口が嫌だから、すぐ本人にキレてしまう癖も
辛い物に強いのも
結構悩みを自分でこらえるのも
意外と純粋なベタな恋愛が好きなのも
韓国人の血が流れてるからなんです
頭悪いふりして
だけど人を見てしまう癖も
父親譲り。
(引用:酒井莉加のブログ)
幼い頃から周囲との性格の違いに悩んでいたのかもしれませんね。
自分のルーツを知ったことで納得した部分もあったのかもしれません。
また、立川志らくさん過去には「私は韓国人に対してヘイトを持っていない」ということを公言されています。
今となって考えると、これは奥様のことを思っての発言だったと分かりますね。
立川志らくの嫁・酒井莉加に精神病院入院の過去
立川志らくさんの嫁、酒井莉加さんは過去に精神病院に入院していたことがあるそうです。
2011年12月に更新されたブログには、こんな記述がありました。
七十歳になっても遊び足りないままだろう
髪ピンクだわ刺青入れてるわ
だけど一つ私の考えがある
一生に一回やってみたいこと
平凡に生きるよりまし。
間違えて精神病院にいれられたのも良かった。
整形もしてみたい。
犯罪はしたくないけど経験は大切。
(引用:酒井莉加のブログ)
「間違えて精神病院に入れられた」という状況が全く想像がつきませんが…周囲に病んでると勘違いされて無理やり入院させられたのかもしれませんね。
現在主宰している『劇団キューピー』では、精神病院を題材にした作品もあります。
『ゲルニカ狂騒曲』を終えて10。終えてを書くとまた長々となりそうなのでこの辺で。精神病院を題材にしたサスペンスは、かなりの精神力と体力を奪われるので、やめようと心に誓いました。よって、ゲルニカはこれまで。サスペンスも少しの間はいいかなと感じました。w
— 酒井莉加 (@rika2626) February 2, 2017
立川志らくさんが脚本を書いているので、奥様の経験からインスパイアされたのかもしれませんね。