ザ・ドリフターズの仲本工事さん
車にはねられ急逝
2022年10月18日9時12分、横浜市西区浅間町5丁目の信号機がなく歩行者横断禁止となっていた交差点を横断中に、70代の男性が運転する乗用車に跳ねられ、頭などを強く打つ重傷を負い、横浜市内の病院に搬送された。頭部から出血し意識が朦朧として受け答えが出来る状態ではなかった。手術を受けるなど治療を受けていたが、意識が戻ることなく、翌10月19日22時22分、急性硬膜下血腫のため、死去。81歳没。死去の際、事故の急報を受けて駆けつけた妻の純歌と事務所の関係者に看取られたという。同年11月に東京芸術劇場での舞台に出演する予定になっていた。

仲本 工事(なかもと こうじ)
- 本名:仲本 興喜(なかもと こうき)
- 1941年7月5日-2022年10月19日(81歳没)
- コメディアン、ミュージシャン(ギタリスト)
- ザ・ドリフターズメンバー
- 東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)出身
生い立ち
- 1941年7月5日、東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)で靴職人の父・興徳(1901年 – 1972年)と母・静江(1921年 – 2011年)の元に生まれる。
- 両親は共に沖縄県出身。
- 東京都立青山高等学校在学中は300人中7番の秀才で、東京都で2位の成績を残した体操選手という文武両道であり、将来は弁護士になることを志望していた。
学生時代
- 入学した学習院大学に体操部がなかったという理由から音楽の道に踏み込む。独学でギターを弾きこなし歌も得意だった。たまたま友達に誘われてジャズ喫茶に行った時に、何か歌えよと言われて飛び入りで歌った事が気に入れられて「クレイジー・ウエスト」に加入。同バンドのドラムには加藤茶がいた。その後、ジェリー藤尾率いるジャズバンド「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のセカンドシンガーのオーディションを受け合格しメンバーになった。この時のバンジョー奏者に高木智之(後の高木ブー)がいた。
ドリフターズに加入
- 高木の誘いにより1965年ドリフターズに加入。高木はいかりやに紹介するギタリストを仲本にするか、同じバンド仲間の青木健にするか少し悩んだが、いかりやがあまりに急いでいたため、すぐ連絡が取れた仲本に声をかけたと述べている。また、当初両親が芸能界入りに反対したため、いかりやが連日仲本の自宅に通って説得したという。
- 1969年10月、ドリフをメインに据えた国民的バラエティ番組『8時だョ!全員集合』がスタート。仲本もメンバーとしてグループの中枢を支える。
- 1985年『全員集合』が終了した。
『8時だョ!全員集合』終了後の活動
- 俳優としての活動を展開し、1990年、水戸黄門第19部で左甚五郎役を演じる。
- 1997年4月から6月にかけてフジテレビ系で放送されたドラマ『総理と呼ばないで』で官房事務副長官役を演じる。2002年にはSMAPの稲垣吾郎とANAのテレビCM「超割(神様編)」で共演し、2003年6月には明治乳業「VAAM」のテレビCMで高橋尚子・高木ブーと共演する。2004年にはサザンハリケーン(学習院大学の後輩)のCDジャケットに、2006年にはRAG FAIRのアルバム『オクリモノ』のテレビCMにも登場した。
- 2020年3月にドリフターズのメンバーであった志村けんが新型コロナウイルス感染症により死去し、その後に行われた志村を偲ぶ行事にメンバーとともにしばしば参加しており、後述の事故4日前の群馬県高崎市の高崎タカシマヤで行われていた「志村けんの大爆笑展」でのイベントに高木ブーと参加したのが生前最後の仕事となった。
今日は、高崎タカシマヤ「志村けんの大爆笑展」にブーたんと行ってきました。笑顔も二倍です。楽しかったなァ。志村も喜んでくれたかな。 pic.twitter.com/f1mQlwLXD3
— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) October 14, 2022
引用元:Twitter
ザ・ドリフターズメンバー
いかりや 長介

- 本名:碇矢長一(いかりや ちょういち)
- 1931年11月1日–2004年3月20日(72歳没)
- コメディアン、ミュージシャン(ベーシスト)、俳優、司会
- 「ザ・ドリフターズ(略称:ドリフ)」の3代目リーダー
- 愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名を「いかり矢 長介」としていた
2003年5月30日(金曜日)、原発不明頸部リンパ節癌により緊急入院。闘病を経て、同年7月17日に一旦退院する。翌々日には『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の映画舞台挨拶に参加し、8月6日に『SMAP×SMAP』のゲスト出演収録でテレビの仕事に復帰する。長男の浩一によると、7月の退院直後に担当医から「余命はもって8ヶ月」であると宣告されていたが、本人には伝えなかったという。12月23日に放送された『40年だよ!ドリフ大爆笑』がいかりやにとって生涯最後のテレビ出演(仕事)となった。
2004年3月15日、癌の転移により東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院に再入院し、3月20日午後3時半に死去。満72歳没(享年73)。奇しくも、ドリフの結成40周年という節目の年にこの世を去った。
荒井注(脱退)

- 本名:荒井 安雄(あらい やすお)
- 1928年7月30日-2000年2月9日(71歳没)
- コメディアン、俳優
- ザ・ドリフターズ元メンバー
2000年2月9日(水曜日)午前4時30分、伊東の自宅において、入浴中に肝不全のため71歳で亡くなった(享年72歳)。
志村けん

- 本名:志村 康徳(しむら やすのり)
- 1950年2月20日-2020年3月29日(70歳没)
- コメディアン、お笑いタレント、司会者
- 東村山市名誉市民
- ザ・ドリフターズのメンバー
2020年3月15日ごろから体調に異変が見られ始める。翌16日、「志村でナイト」の収録のためフジテレビを訪れたものの体調不良から控室に入って30分で退出し帰宅。翌17日、倦怠感が出始め、19日に発熱と呼吸困難の症状が現れる。翌20日に医師による訪問診察で重度の肺炎と診断され、東京都港区内の東京都済生会中央病院に緊急入院となった。入院後、21日に人工呼吸器に切り替えた段階から意識はなかった。入院の際に新型コロナウイルスの検査を実施したところ、23日に陽性と判明した。24日に人工心肺が必要と診断を受けて、新宿区の国立国際医療研究センター病院へ転院してECMOを装着。入院時には肺に影も見られ、一時は気道を確保する気管挿管の処置も取られた。また、同日には保健所による調査で、3月17日が発症日であることと濃厚接触者の特定が完了したが、感染経路については不明とされた。検査結果を受け、同年12月公開予定だった自身初の主演映画『キネマの神様』のクランクインが延期となり、3月26日、同作への出演を辞退したことを所属事務所が発表した。
2020年3月29日23時10分、国立国際医療研究センター病院に於いて新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎の為に死去。70歳没。
仲本さんの突然の死で、ザ・ドリフターズのメンバーで存命なのは、加藤茶(79)と高木ブー(89)だけとなった。2人はともに大きなショックを受けており、所属事務所は「2人のコメントなどの対応は後日にさせていただきたい」とした。
高木ブー

- 本名:高木 友之助(たかぎ とものすけ)
- 1933年3月8日(89歳)
- コメディアン、ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)
- ザ・ドリフターズのメンバー
ドリフ加入について高木は「自分(がリーダー)のバンドを持っていたから、入りたくなかったけど、説得されて入った」と述べている。ドリフに移籍するにあたって給料の値上げを要求しようとしたが、うまく言い出せず、「娘が産まれたばかりでミルク代がかかる」などといった世間話を30分ほども続けた末に、やっと給料の値上げを要求していることをいかりやに気付いてもらえて、給料5,000円アップの条件で交渉された。それでも迷いがあったため、帰宅して妻に相談すると「(ドリフに)行った方がいいんじゃない?」と背中を押されたことで加入を決めた。
加藤茶

- 本名:加藤 英文(かとう ひでゆき)
- 1943年3月1日(79歳)
- コメディアン、ミュージシャン、司会者、ドラマー、俳優
1961年にドラマーとしてクレージーウエストにメンバー入りし、仲本コージ(後の仲本工事)と出会う。
1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」のメンバーに加入した。
今回は、20日に急逝された仲本工事さんについてまとめてみました。
最後まで、ご覧頂きありがとうございました。