ジャニーズ事務所の社長である「ジュリーさん」こと藤島ジュリー景子さん。
ジャニー喜多川さんの姉・メリー喜多川さん(藤島メリー泰子)の娘、つまりジャニーさんの姪にあたる人物です。
藤島ジュリー景子さんはジャニーさん同様謎に包まれている方ですが、実は過去に子役として活動していた経歴の持ち主です。
なんと、あの人気ドラマ「金八先生」にも出演したという経験も!
そこで今回は、藤島ジュリー景子さんの若い頃や経歴に関する話題をお届けしていきます!

藤島ジュリー景子のプロフィール

- 本名:藤島 ジュリー景子(ふじしま ジュリーけいこ)
- 別名: 藤島ジュリーK.
- 生年月日:1966年7月20日
- 年齢:55歳(2021年)
- 出身地:東京都出身校:西町インターナショナルスクール、上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)
- 職業:ジャニーズ事務所副社長、ジェイ・ストーム社長、東京・新・グローブ座社長
- 両親:藤島泰輔(父)藤島メリー泰子(母)
1950年代後半、メリー喜多川さんは四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にてカウンターバー「スポット」を開業し、事業家の道を進んでいました。
このバーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔さんとの間に、藤島ジュリー景子さんをもうけることに。
しかし、藤島泰輔さんは高浜虚子さんの孫娘である朋子さんという妻がいました。
つまり、藤島ジュリー景子さんは内縁関係でできた子供だったのです。
藤島ジュリー景子の経歴と学歴
未婚の母となったメリー喜多川さんに育てられた藤島ジュリー景子さん。
実は過去に芸能活動をしていた経歴をお持ちなんです。
ここでは経歴や出身校に関する情報を見ていきましょう。
藤島ジュリー景子の芸能活動

1973年、藤島ジュリー景子さんは6歳で芸能界デビューを果たしています。
芸名は「フジシマ ジュリー」の名前で、フォーリーブス主演のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で初舞台を踏みました。
その後の出演作品は以下の通り。
- 〜1977年:子供向け番組『おはよう!こどもショー』
- 1977年:特撮ドラマ『小さなスーパーマン ガンバロン』
- 1979年:ドラマ『3年B組金八先生 (第1シリーズ)』
- 1980年:音楽バラエティ番組『HOT-TV』
- 1980年:ドラマ『3年B組金八先生(第2シリーズ)』
- 1981年:ドラマ『名犬ゴローの愛』
- 1982年:ドラマ『3年B組金八先生スペシャル』
中学生頃まで様々な作品に出演されましたが、1982年(16歳頃)の金八先生を最後に芸能活動は終了しています。
藤島ジュリー景子の出身校
藤島ジュリー景子さんの学歴を見ていきましょう。
ロサンゼルス生まれのメリー喜多川さんを母親にもつ藤島ジュリー景子さん。
国際派の親の影響もあり、中学校は元麻布の「西町インターナショナルスクール」へ進学されました。
高校に入ると芸能活動を中止し、父親とともにアメリカに留学。
大学は上智大学比較文化学部(現・国際教養学部)へ進学されました。
ちなみに、上智大学はジュリーさんの叔父のジャニー喜多川さんの出身校でもあります。
大学時代はスイス留学も経験されたんだとか。
国際的な経験を多く積んだ藤島ジュリー景子さん。
自身の子供には将来的にジャニーズ事務所を背負って立つ存在になってほしいと考えて、インターナショナルスクールに通わせているんだそうです。

藤島ジュリー景子の職歴
続いて、藤島ジュリー景子さんの大学卒業後の職歴を見ていきましょう。
大学卒業のジュリー景子さんは、フジテレビに入社をされました。フジテレビと言ったらコネ入社の疑惑が多い会社ですが…
フジテレビの秘書室勤務を経たのちに「藤島ジュリー」や「ジュリー・ケイ」の名でジャニーズ事務所のスタイリストとなりました。
その後、1997年に立ち上げたジャニーズ事務所初の自社レコードレーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」の初代社長を経て、新レコードレーベル「ジェイ・ストーム」の代表取締役社長へと就任。
また、母親のメリー喜多川さんと共にジャニーズ事務所の代表取締役副社長も務めています。
そして、2019年7月9日にジャニー喜多川社長が亡くなったことから、社長に就任されました。
藤島ジュリー景子は金八先生に出演していた!
藤島ジュリー景子さんが、子供の頃に芸能活動をしていたことが分かりました。
1979年〜1980年には人気ドラマ『3年B組金八先生』の第1シリーズ・第2シリーズに出演されています。
ここでは、ジュリー景子さんの金八先生時代の活躍を振り返ってみたいと思います。
金八先生での役どころは
藤島ジュリー景子さんが金八先生へ出演した当時の年齢は13歳。
役名は越智はるみで、座席は最前列の廊下側から2番目の席でした。(あまり目立たない子が多い席です…)
役柄は英語が得意な生徒ということで、作中でも流暢な英語を披露しています。
国際派の母親や叔父の元で育った経験を活かした役だったんですね。
藤島ジュリー景子さん演じる越智はるみがメインとなったのは第1シリーズの第8話。
タイトルは「子供の喧嘩に親が」。あらすじはこんな感じでした。
得意な英語のテストで失敗してしまい動転した越智はるみ(藤島ジュリー景子)は、「はるみでも満点取れないことがあるのか」と嫌味を言った東條絹子(平山裕美)を平手打ちし、教室を飛び出してそのまま帰宅してしまった。
バツが悪いはるみは、つい母親に「東條さんが殴った」と嘘の説明をして、部屋に閉じこもる。
母親がはるみの言葉を鵜呑みにしてヒステリックに学校へ抗議したことで、はるみは余計追い詰められ、母に向かって「あっちへ行け!」と叫んで突如大暴れして部屋をメチャクチャにしてしまう。
はるみは訪ねてきた金八(武田鉄矢)に優しく諭されてなんとか翌日登校するが、絹子の「私の方がぶってしまったんですってね」という余計な一言でまたもパニックに陥る。
はるみは屋上へ駆け上がり、飛び降り自殺寸前に。
皆が二の足を踏む中、池内先生(吉行和子)がはるみに歩み寄り平手打ちして一喝すると、はるみはようやく我に返る。
池内ははるみの母に、「自分の子供だけが正しいと思い込むことは、かえって子供の逃げ道をなくすことになる。だから聞き手になってあげて欲しい。」と言うのだった。
私は第1シリーズの放送時はまだ生まれていなかったのですが、学生の頃にレンタルで視聴したことがあります。
この回の藤島ジュリー景子さんは流暢な英語から飛び降りまでの演技まで、なかなかの熱演でした。
金八先生は「せっかくの平安美人が台無しじゃないか」と励ましたシーンは印象的ですので、記憶に残っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

作中では「平安美人」なんて言われていますが、目がぱっちりの今時美人でした。
金八先生での共演者は
金八先生は、1979年にスタートすると高視聴率を記録する大ヒットとなり、2011年まで32年間にわたり放送されるほどの人気作品となりました。
第1シリーズはシリーズ最初にして最大の話題作と言われており、数々のスターやスターの卵も出演していました。
藤島ジュリー景子さんが共演した初代3年B組の生徒を見てみると…
- 杉田かおる
- 鶴見辰吾
- つちやかおり
- 野村義男
- 田原俊彦
- 近藤真彦
- 小林聡美
- 三原じゅん子
錚々たる顔ぶれです!
田原俊彦さん、近藤真彦さん、野村義男さんという「たのきんトリオ」の3人が出演していますので、ジュリー景子さんを含めると1クラスに4名もジャニーズ関係の役者が揃っていたということです。
つちやかおりさんは後にシブガキ隊の布川敏和さんと結婚されるので、実質5名とも言えますね(笑)
金八シリーズはこの後もジャニーズタレントを積極的に起用していますから、第1シリーズから作品と事務所は太いパイプで繋がれていたことが分かります。
晩年の金八先生は若手ジャニーズタレントも多く出演されていましたしに、初代出演者であるジュリー景子さんがタレントの売り出し交渉をしていたのかもしれません。
何れにせよ、藤島ジュリー景子さんのジャニーズ事務所の業務に金八先生での演技経験や人脈が活きたことは間違いなさそうですね!

藤島ジュリー景子の経歴まとめ
ジャニーズ事務所の2代目社長となる、藤島ジュリー景子さんの経歴についてまとめてみました。
ジュリー景子さんは、学生時代から留学を経験したりと将来を見越した国際的な教育を受けてきました。
小さい頃に芸能活動を経験させたのも、メリーさんやジャニーさんが将来的に芸能事務所の経営やプロデュースをさせようと考えていたのかもしれませんね。
そんなジュリー景子さんは、現在子供をインターナショナルスクールに通わせて英才教育をしています。
自身が育った環境と同じものを娘にも与えようとしているのでしょう。
ジャニー喜多川さんの社長の座を継いだばかりの藤島ジュリー景子さんですが、3代目社長が誕生するのもそう遠くないかもしれませんね。