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国葬とは?2022年までに国葬された総理大臣まとめ

街頭演説中に銃撃されて亡くなった安倍晋三元首相の国葬が、今月27日に行われた。

戦後初となった1967年の吉田茂首相以来、総理大臣経験者の国葬は実に55年ぶり。

そもそも国葬とは?

国葬とは、国家にとって特別な功労があった人物の死去に際し、国費で実施される葬儀のこと。

古来、天皇の崩御などの場合、大喪が発せられる慣習があったが、特に国葬の名は明治以降正式に使用された。明治以降、国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする勅令が個別に発せられていた。

国家に功績ある臣下が死去した場合にも天皇の特旨により国葬が行われるほか、皇族においても特に国家に功労があった者が薨去した場合には、通常の皇族の葬儀ではなく特別に臣下同様の国葬が行われた。

1967年(昭和42年)10月20日に死去       元内閣総理大臣の吉田茂

第二次世界大戦後、天皇・皇后以外で国葬が初めて行われた

宗教色を排して同年10月31日に日本武道館で開催された

吉田 茂(よしだ しげる)

1878年9月22日ー1967年10月20日(89歳没)

内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)

1967年(昭和42年)8月末に心筋梗塞を発症。あわてて駆けつけた甥の武見太郎(医師会会長)の顔を見て「ご臨終に間に合いましたね」と冗談を言う余裕を見せたといわれている。死去前日の10月19日に「富士山が見たい」と病床で呟き、三女の和子に椅子に座らせてもらい、一日中飽かず快晴の富士山を眺めていたが、これが記録に残る吉田の最期の言葉である。翌20日正午頃、大磯の自邸にて死去した。突然の死だったため、その場には医師と看護婦3人しか居合わせず、身内は1人もいなかった。臨終の言葉もなかったが、「機嫌のよい時の目もとをそのまま閉じたような顔」で穏やかに逝ったと言われています。享年90(満89歳没)。

吉田茂はなぜ国葬されたのか?

1967年10月20日に亡くなった吉田茂。

時の首相は、吉田が後進を育てた「吉田学校」の優等生で、吉田を終生の師と仰いだ佐藤栄作佐藤はかねて恩師吉田の葬儀を国葬で行うと決めていたそう。

その直接の動機になったわけではないだろうが、二人の”師弟関係”で有名なのは「造船疑獄」での出来事。逮捕寸前の佐藤(自由党幹事長、当時)を、首相の吉田が法相に「指揮権発動」を命じて救ったことがあったそうです。

吉田栄作とはどんな人物?

佐藤 栄作(さとう えいさく)日本の鉄道官僚、政治家

1901年3月27日 – 1975年6月3日(74歳没)

内閣総理大臣(第61・62・63代)

遠縁に当たる吉田茂とは早くから親交があり、1948年第2次吉田内閣で非議員ながら内閣官房長官として入閣。池田勇人とともに「吉田学校」の代表格となる。

 

まとめ

今回は、国葬された総理大臣についてまとめてみました。

正式な国葬として行われたのは、吉田茂氏だけですが、暗殺された犬養毅氏も日比谷公園にて国葬されたようです。

暗殺された総理大臣についてはまとめ記事があるので気になる人はご覧ください。

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

 

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